平磯短波無線実験局JHBBのQSLカード発受簿(1926〜28年)
当ページでは、平磯無線(逓信省電気試験所平磯出張所、現・情報通信研究機構平磯太陽観測施設)の短波無線実験局JHBBが、大正末から昭和初期にかけて世界各地のアマチュア無線局との交信により受け取ったQSLカードおよび受信レポートのスキャンデータを掲載しています。黎明期の短波通信およびアマチュア無線界を研究するための材料として、自由にご活用下さい。活用された場合、参考のため、当ページの管理人までご一報いただけると助かります。
JHBBの短波送信機の開発経過は、以下の電気試験所研究報告に詳しく掲載されています。第1著者の高岸栄次郎氏と第2著者の磯英治氏(JARL創設メンバーの一人で、当時のコールサインは1SO)は後に連れ立って発足間もない安立電気(現・アンリツ)に移り、高岸氏は初代研究課長、磯氏は戦後に社長を歴任しました。
- 高岸栄次郎,磯英治,川添重義, “短波長送信機の設計及其の試験成績 前篇 ―設計”, 電気試験所研究報告, Vol.243, 1928年12月.
- 高岸栄次郎,磯英治, “短波長送信機の設計及其の試験成績 後篇 ―試験成績”, 電気試験所研究報告, Vol.246, 1929年1月.
なお、JHBBが活動していた頃の我が国の短波通信およびアマチュア無線の状況については、「History of Citizens Band Radio」というサイトの以下の各ページに、詳しく紹介されています。
- J1AA ―― 同ページでは、1925年(大正14年)に短波帯で初めて外国との交信に成功した東京逓信局岩槻受信所J1AAの初期の活動が紹介されています。岩槻局は同じ逓信省の中にありながら電気試験所とはライバル関係にあり、J1AAの後を追いかけるようにして平磯JHBBが短波通信実験を始めた経過がリアルに述べられています。
- J1PP J8AA ―― 同ページでは、1925年頃までのJ1AAおよびその他の初期の短波実験局の活動が紹介されています。平磯無線による米国中波ラジオ局KGOの受信成功(1924年)や、ARRLのコンテスト(Mid-Summer Test)への参加、短波無線電話の国内各所での受信テスト(1925年)などについても触れられています。また、JARLが発足する前年に「無線と実験」誌に掲載された、高岸栄次郎平磯出張所長(当ページで公開しているQSLカード群の宛先名として頻繁に登場)による、アマチュアに対する短波開放への応援メッセージも引用されています。
- 短波開放の通達 ―― 同ページでは、1926年(大正15年)頃以降の短波帯の開放に向けた動きが紹介されています。同ページで触れられている1926年のJHBB短波通信実験の成果の一端が、当ページで公開しているQSLカード群です。