おしらせ
約90年前のQSLカード群を、平磯無線100周年等記念局8N100ICTのWebサイトで公開〜短波帯黎明期の無線実験局JHBBの交信実績の詳細が明らかに〜 |
平磯無線(逓信省電気試験所平磯出張所、現・独立行政法人情報通信研究機構平磯太陽観測施設)が大正末から昭和初期にかけて開設していた短波無線実験局JHBBが、世界各地のアマチュア無線局との交信により受け取ったQSLカード及び受信レポート80通余りを、平磯無線100周年等記念局8N100ICTの実行委員会のメンバーが、平磯の施設内で発見しました。このほど全てのカード・レポートを画像として取り込み、2015年1月1日の平磯無線100周年記念日に合わせて、同記念局の以下のWebサイトで公開を始めましたので、お知らせいたします。 http://hp.jpn.org/JR1YPU/JHBB-QSL/ |
◆平磯無線について
無線技術は、およそ120年前の1895年にイタリアのマルコーニが初めて実用化に成功し、我が国ではその翌年の1896年(明治29年)から逓信省電気試験所(現在の独立行政法人情報通信研究機構、独立行政法人産業技術総合研究所、NTTグループのR&D部署などの共通の前身)において実験研究が始まりました。電気試験所での無線研究は、当初は東京の市街地にあった本部で行われていましたが、無線にとって重要なアンテナの研究に広い敷地を必要としたことや、太平洋をまたぐ長距離無線通信の研究を本格化するために、1915年(大正4年)1月1日に現在の茨城県ひたちなか市に、無線技術専門の研究拠点「平磯出張所」(通称「平磯無線」)が設けられました。そのことから平磯無線は、「無線通信研究の故郷」あるいは「電波研究の本当の意味での発祥の地」と言われています。
開設当初から無線電話の実用化研究に注力していた平磯無線では、我が国における中波ラジオ放送の誕生(JOAKなど)のための調査研究が一段落した頃から、当時のアマチュア無線家が開拓した短波帯の通信に着目し、無線電話に主力を置いた短波実験局(コールサインJHBB)を、1925年(大正14年)に開局しました。
JHBBは、国内各地で受信試験を行ったほか、1926年(大正15年)頃から世界に向けた送信試験を繰り返しました。短波帯の黎明期は、官設局とアマチュア局とはボーダーレスであり、送信試験の際にアマチュア無線家から受信レポートを募ったのみならず、アマチュア局との交信も行っていました。
平磯の短波無線実験局JHBBのシャック (1925〜28年頃) | |
コールサインプレートに掲げられている“JAPANUJO”は、エスペラント語で日本の意。国際共通語として作られたエスペラント語は1920年代に世界的に流行し、例えば1926年創立のJARLも創立時はJAPANA AMATORA RADIO LIGOとエスペラント語表記でした。ちなみにエスペラント語では名詞の語尾は必ずOで終わる決まりになっており、平磯は「HIRAISO」のままで名詞化できました。 | JHBBのダブルボタンマイクロホン。 無線電話の実験局であったことを物語る写真です。手元にナイフスイッチが見えます。 |
◆発見されたQSLカードについて
JHBBが世界各地から受け取ったQSLカード及び受信レポートについては、これまで存在が知られていませんでしたが、平磯無線100周年等記念局の実行委員会のメンバーが2014年12月6、7両日に平磯で8N100ICTを移動運用した機会に、施設内に残っている資料を調査した結果、1冊に綴じられた「QSLカード発受簿」を発見しました(写真)。
このほど平磯で発見されたJHBBのQSLカード発受簿 |
同簿に収録されているQSLカード等は、1926年(大正15年)から1928年(昭和3年)までの80通余りで、すべて海外からのものです。この3年間は、日本アマチュア無線連盟(JARL)が誕生し、我が国のアマチュア無線が非合法から私設実験局として許可される移行期に該当することから、これらのQSLカード群は我が国のアマチュア無線界の誕生期を知る上でも参考になる資料といえます。
同簿には、QSLカード等と共に、受領した日付や、送信時の設備状況についての詳細な添え書きがあり、技術的な記録としても貴重なものです。
◆Webサイトでの公開について
記念局のWebサイトでは、書かれた文字がはっきり読めるように、高精細な画像としてカードの表裏両面を取り込み、公開しています。郵便の転送履歴の付箋についても1枚ずつ別画像として公開しています。これらの中には、東京逓信局岩槻受信所J1AAを経由したものや、非合法時代のアマチュア無線家3AA(笠原功一氏)及び同氏による合法私設実験局JXIXから回送されてきたというメモ書きの付いたカードもあり、非合法局を取り締まる立場であったはずの逓信省の付属実験局JHBBと、当時の国内のアマチュア無線家との交流が垣間見えて、興味深い資料です。当時、JHBBで短波通信実験を行っていた技手の中に、磯英治氏(後の安立電気社長)がおり、同氏は平磯に就職する前の学生時代に1SOの自称コールサインを持つアマチュア無線家であったことで、同氏のアマチュア無線家としての人脈がJHBBでの業務に活かされていた可能性があります。
(1926年6月17日) | (1926年11月22日) 「TEST DE JHBB QRA HR IS RADIO RABORATORY HIRAISO IBARAKIKEN JAPAN HR ABT 700 WTS ANT INPUT QRH 40 MTRS PSE QSL OMS …」 | (1928年3月25日) |
JHBBの電波は南アフリカまで届いていました。(1928年3月26日) | Webサイトでは切手面も公開しています。(1926年11月3日) | (1926年11月28日) |
平磯無線は、アマチュア無線家が開拓した短波通信の研究に参入したことをきっかけとして、短波通信安定化のための電離層観測研究にシフトし、やがて今日の太陽観測そして宇宙天気予報の業務につながっています。記念局実行委員会は、これらの画像データを研究対象として、多くのアマチュア無線家に活用していただけることを期待しています。
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