おしらせ

100年前の世界初「同時送受話無線電話」を、大洗〜ひたちなか間で中高生らと再現実験

〜ケータイの基本技術は茨城県で誕生した〜

2015年8月4日

国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT、東京都小金井市貫井北町4-2-1)の職員有志らは、我が国の無線通信の歴史を振り返り広く紹介することを目的とするアマチュア無線記念局を、NICTの賛同を得て、2014年から開設・運用しています。

現在の携帯電話が、固定電話と同じように双方が同時に話して聞くことのできる「同時送受話方式」になっているのは、100年前に、NICT等の前身組織により茨城県内において世界で初めて成功した無線通信実験に、その起源があります。その史実を記念し、来たる8月18日(火)に、100年前の実験成功時の場所と同じ、NICT平磯太陽観測施設(旧・逓信省電気試験所平磯分室、茨城県ひたちなか市磯崎町3601)と、茨城県立児童センターこどもの城(旧・逓信省電気試験所磯浜分室、茨城県東茨城郡大洗町磯浜町8249-4)との間、約6kmを結び、東京電機大学中学校高等学校無線部(東京都小金井市梶野町4-8-1)の参加により、100年ぶりの同時送受話無線電話の再現実験を行いますので、お知らせいたします。

●同時送受話無線電話について

同時送受話は、相手と自分が同時に聞き話すことのできる電話方式で、電線を使う固定電話では1890年(明治23年)にわが国で電話サービスが始まった当初から採用されていた方式でした。しかし電波を使う無線電話において同時送受話を実現するためには、電波の送信と受信を同時に行う必要があり、明治・大正時代の初期の無線技術では、自分の送信した電波が受信に妨害を与えてしまうなどの問題がありました。そのため誕生当初の無線電話は、現在も警察無線、消防無線、航空無線などのトランシーバで採用されている、相手と自分が交互に送信と受信を切り替えて通話する 「交互送受話」の方式でした。

NICTの前身である逓信省電気試験所は、今から100年前の1915年(大正4年)に、無線電信電話の先端研究開発拠点として、茨城県内に平磯出張所(平磯分室及び磯浜分室)を設け、同時送受話無線電話の実現に向けた研究に着手しました。同時送受話無線電話は当時、諸外国でも盛んに研究されていましたが、送信と受信を別のアンテナにするなどのさまざまな方式が試みられていたものの、完全な成功には至っていませんでした。 逓信省電気試験所は、2つの周波数に共振する特殊なアンテナを設計し、1本のアンテナで異なる周波数の電波の送信と受信を同時に行える方式を開発しました。その方式によって1917年(大正6年)に、平磯分室〜磯浜分室の約6kmの距離での同時送受話無線電話の実験に、初めて成功しました。

無線電話における同時送受話が実現したことにより、もともと同時送受話方式であった固定電話との相互接続が初めて可能になり、船舶上の無線電話と陸上の固定電話とを結ぶ通話が1918年(大正7年)に公開実験されました。これと同じ技術を米国の電話会社が3年後に特許出願したものの日本が先行していたため特許が認められなかったことから、わが国の実験が世界初の成功であったことが証明されています。この成功により、専門のオペレータにしか扱えなかった無線電話が、一般市民でも利用できる技術に大きく進化しました。つまり携帯電話に代表されるモバイル通信の歴史は、茨城県の平磯〜磯浜間から始まったと言っても過言ではありません。

●逓信省電気試験所平磯出張所(平磯分室及び磯浜分室)について

携帯電話、スマホ、Wi-Fiなど、日常生活にとってますます不可欠になっている無線技術(ワイヤレス)は、今から120年前の1895年にイタリアのマルコーニが初めて実用化に成功し、我が国ではその翌年の1896年(明治29年)から逓信省電気試験所において実験研究が始まりました。当初は東京の市街地にあった本部で実験研究が行われていましたが、太平洋をまたぐ長距離無線通信の研究を本格化するために、1915年(大正4年)に、「平磯出張所」(平磯分室及び磯浜分室)が設けられました。そのことから平磯出張所は、「無線通信研究の故郷」あるいは「電波研究の本当の意味での発祥の地」と言われています。

平磯出張所は、同時送受話無線電話実験の成功に続いて、1925年(大正14年)に東京・愛宕山のJOAK (現在のNHK)によってラジオの本放送が始まる準備のための調査・試験を行い、米国のラジオ放送の長距離受信に初めて成功(日米間初の無線電話)したほか、後に「5球スーパー」の名で広く普及することになる、スーパーヘテロダイン式ラジオ受信機の試作を、日本で初めて行いました。

平磯出張所の2つの分室のうち、茨城県ひたちなか市の平磯分室は、戦後、平磯電波観測所、さらに平磯宇宙環境センターとして発展し、短波帯の電波の伝わり方の研究、電波状態の乱れによる無線通信への影響を予測・周知する電波警報業務、そして電波状態の乱れの原因の多くを占める太陽活動の観測へと、今日まで一貫して電波・無線技術に関する世界的な研究・観測拠点として活動しています(写真)。特に昭和30年代には、東京大学の糸川英夫教授らのグループと共同で、秋田県の道川海岸におけるロケット打ち上げ実験に参加し、上空にある電波の反射層(電離層)の観測を繰り返し行うなど、我が国の宇宙開発の黎明期にも大きく関わっています。

平磯分室(大正時代)平磯分室の無線装置(大正時代)平磯分室の現在の姿
(NICT平磯太陽観測施設)

一方、東茨城郡大洗町の磯浜分室は、茨城県立児童センターこどもの城の拡張に伴い、同センターの敷地に転用されることになり、1985年(昭和60年)に廃止されました。同センターの敷地内には、磯浜分室の功績を伝える「無線研究発祥の地」の石碑が立っています(写真)。

磯浜分室(大正時代)磯浜分室の無線装置(大正時代)磯浜分室の跡地に立つ「無線研究発祥の地」の石碑

逓信省電気試験所は、終戦直後の省庁組織改革により、現在のNICTのほか、国立研究開発法人産業技術総合研究所(茨城県つくば市)、NTT研究開発センタ(東京都武蔵野市)、KDDI研究所(埼玉県ふじみ野市)などに分割されましたが、これらの後身組織は、時代の要請や運営母体の変遷により、逓信省電気試験所時代の敷地や施設を、今日ではほとんど残していません。NICTに継承された平磯分室のみが、平磯太陽観測施設として現在も稼動しており、逓信省電気試験所の拠点の中で、開設当時から場所を変えることなく後身の研究機関に引き継がれて、今日まで100年間、研究用途で存続している、唯一・最後の貴重な施設となっています。

●100年ぶりに行われる同時送受話無線電話の再現実験について

今回の実験は、かつての平磯分室の後身であるNICT平磯太陽観測施設と、かつての磯浜分室の跡地に立つ茨城県立児童センターこどもの城に、それぞれ仮設アンテナとアマチュア無線機を設置し、両拠点間を結んで同時送受話通話を行うものです。両拠点において、異なる周波数(144MHzと430MHz)をそれぞれの送信と受信に充てて、1本のアンテナによって通信します(図)。

実験は、東京電機大学中学校・高等学校の無線部が夏休みの合宿として茨城県立児童センターこどもの城に滞在・活動しているのに合わせて、同部の中学生・高校生のアマチュア無線家の参加を得て、実施いたします。東京電機大学中学校・高等学校の無線部は、NICT本部と同じ東京都小金井市内に学校がある関係から、以前からNICTのアマチュア無線家と合同で活動する機会が多くありました(写真)。また、東京電機大学の初代学長である丹羽保次郎博士(1893年生〜1975年歿)は、逓信省電気試験所が開発した実用無線電話装置を学生時代に見学して感銘を受け、大学卒業と同時に電気試験所に就職し、ちょうどその頃に平磯〜磯浜間で同時送受話無線電話実験が行われていたという縁があります。

記念アマチュア無線局の合同運用NICT施設からの無線局運用電波暗室を用いたアンテナ実験
東京電機大学中学校・高等学校無線部とNICTのアマチュア無線家とのこれまでの合同活動の例

電波法の制約があるため、今回行う実験は、使用している周波数やアンテナの方式などが100年前とは異なり、したがって完全な再現とはいえませんが、100年前と全く同じ場所において、現在は携帯電話の基本技術として世界中に普及している同時送受話無線の実験を、中高生らに体験してもらうことにより、先人の偉業の理解と、次世代の技術者育成に寄与したいと考えています。

   

100年前の世界初「同時送受話無線電話」の再現実験

実験日時2015年8月18日(火)  雨天決行
実験運用時間午後3時〜5時頃(無線設備の設置調整に要する時間により、実験時間は前後する場合があります)
実験場所茨城県立児童センターこどもの城 (茨城県東茨城郡大洗町磯浜町8249-4)
担当: 東京電機大学中学校・高等学校無線部 (コールサイン JA1YQZ/1)
NICT平磯太陽観測施設 (茨城県ひたちなか市磯崎町3601)
担当: NICT平磯無線100周年記念アマチュア無線局 (コールサイン 8N100ICT/1)
※少人数の実行委員会による手弁当での活動のため、不測の事態により実験を中止する場合があります。
実行委員会のWebサイトのアナウンスにてご確認下さい。


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