ラジオ放送黎明期における平磯無線の活躍〜ラジオ放送開始90周年記念日に寄せて〜 |
2015年3月22日は、日本最初のラジオ放送局(東京放送局 コールサインJOAK)が開局して90周年の記念日です。放送という新しいメディアが、その後の世界の文化発展や情報伝達の向上に果たした役割の大きさについては、改めて述べるまでもありません。 ラジオ放送が始まる10年前に開設された平磯無線(逓信省電気試験所平磯出張所、現NICT平磯太陽観測施設)は、開設当初から無線電話技術の研究開発に主力を置いており、大衆に広く普及した無線電話であるラジオ放送の開始にあたって、技術面からさまざまな寄与をしました。 放送90周年記念日を迎えるにあたり、本稿では、平磯無線とラジオ放送誕生との関係をご紹介したいと思います。 |
明治末から大正初めにかけて、逓信省電気試験所が世界初の実用無線電話「TYK式無線電話機」を開発した頃には、我が国でも有線の電話網は既にかなり普及していました。しかし船舶の通信、すなわち移動体通信は、どうしても有線電話では扱えない対象でした。そのため無線電話の歴史は、船舶と港の間を結ぶ連絡手段として始まりました。
ところが、専門のオペレータ以外には送信も聞き取りも難しいモールス符号を使う無線電信とは異なり、受信者に肉声を直接伝える無線電話の場合、誰にでも聞き取れることから、各家庭を受信所として、1箇所の送信所から多数の一般市民に向けて同時に片方向に情報を伝えるブロードキャスト(broadcast:直訳すると「広く播く」)という無線電話の利用形態が、1920年頃に米国などで始まりました。日本ではブロードキャストに「放送」という訳語が当てられ、米国の後を追うようにして「放送を行うための無線局」の設立準備が急がれました。1923年(大正12)12月20日に犬養毅逓信大臣により、「放送用私設無線電話規則」が公布されたことで放送局の開設に関する法的根拠が整備され、平磯無線では翌年の大正13年度に、放送無線電話に関する研究が集中的に実施されました。電気試験所事務報告によりますと、当時の主な研究項目は以下の通りです。
米国KGO局放送電波受信風景 1924年(大正13)8月 左: 高岸栄次郎(第3代所長) 右:丸毛登(第2代所長) |
東京朝日新聞 1924年(大正13)9月2日 | 茨城新聞 1924年(大正13)9月2日 |
時事新報 1924年(大正13)11月23日 | 東京日日新聞 1924年(大正13)11月23日 |
この受信に際して、平磯無線では外国の文献を参考にしてスーパーヘテロダイン式受信機を試作しましたが、これが我が国におけるスーパーヘテロダイン式受信機の第1号とされています。
平磯無線の初代の所長で、TYK式無線電話機の開発者の一人である北村政次郎氏は、1920年(大正9)に所長を退任後、1925年(大正14)の東京放送局(JOAK)の開局時に初代の技師長として就任しました。また第2代所長の丸毛登氏も1928年(昭和3年)に、それぞれ別法人だった東京・大阪・名古屋の3放送局が統合して発足したばかりの日本放送協会(後のNHK)に移り、大阪中央放送局技術部長などを歴任しました。北村初代所長の片腕として初期の平磯無線で活躍した土岐重助氏も、後に日本放送協会の技術部長となり、JOAKの国産第1号送信機の設計者となりました。(同氏が戦後に設立した土岐電気のWebサイト)
第3代所長の高岸栄次郎氏及び部下の磯英治氏は、当時のラジオ送信機・受信機のトップメーカーだった安立電気(現アンリツ)に移り、メーカーの技術者としてラジオ放送の発展を支えました。高岸氏は、同窓生だった「テレビの父」高柳健次郎氏が所属した浜松高等工業学校に対して、日本最初のテレビジョン送信機を開発・納品しました。
昭和時代に入り、中波ラジオの調査研究が一段落した平磯無線は、海外との長距離通信に適した短波無線の研究に重心を移しました。平磯無線は、JOAKの開局と同じ年の1925年(大正14)に、実験無線局(コールサインJHBB)を開局して短波送信機の開発を始め、1928年(昭和3)に一応の完成を見ました。完成した短波送信機を使って、中波放送JOAKを受信して海外に向けて短波で再送信する実験を行いました。この実験は、後に始まる国際放送の走りといえます。
電気試験所の昭和3年度の研究報告に掲載されていた図と、平磯無線に伝わる写真とから、当時の中継放送システムの構成を以下に再現します。短波送信機との干渉を避けるために、送信機室から隔離された専用の小屋を建ててJOAKを受信していたことがわかります。
JOAK受信/JHBB再送信システム構成マップと受信設備の写真 | JOAK受信/JHBB再送信システムブロック図と送話室・音響増幅器・変調機・発振機の写真 |
米国から届いた受信レポート(1928年2月) JHBBとJOAKの両方のコールサインが書かれており、中継放送を受信した際のレポートであることがわかります。波長は37.5m(周波数8.0MHz)と書かれています。 |
JHBBによる実験の後、平磯無線は無線装置の研究から電離層観測の研究へと舵を切り、放送技術に対する直接的な寄与は減っていきますが、ラジオ放送の誕生期に平磯無線が果たした役割について、多くの方々の記憶に留めていただけましたら幸いです。
1965年に開催された、平磯無線開設50周年記念式典(当時は郵政省電波研究所平磯電波観測所)における、出席者のスピーチの録音が現存しています。50年前には健在だった丸毛登第2代所長、高岸栄次郎第3代所長、磯英治技手ら、平磯無線の開拓者たちの肉声は、開設100年を迎えた今日でも我々の心に響くものがあります。ぜひお聞き下さい。
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