電波技術協会報 2017年11月号

電気試験所の偉業と平磯出張所<1>

〜すべての電波技術はここから始まった〜

滝澤 修
茨城県ひたちなか市の位置
   

まえがき

 一般社団法人電子情報通信学会は、電子・情報・通信に関する学問・技術の分野を対象として、研究開発の促進・知識の普及および人材育成を目的とする学術団体で、工学系では我が国有数の会員数を持つ。同学会は、1917年(大正6年)5月に「電信電話学会」として創立し、今年5月に100周年を迎えた。その節目を記念して、同学会で議論され、我々の社会や生活・産業・科学技術の発展に大きな影響を与えた研究開発の偉業が、「電子情報通信学会マイルストーン」として、このほど選定された。

 9月15日に開催された同学会創立100周年記念式典の中で、選定委員会の辻井重男委員長から、委員会が調査してマイルストーンとして選定した242件が発表された(写真1)。マイルストーンは公募もされ、学会が選定した各マイルストーンに合致すると認定された応募案件127件も合わせて選ばれた[1]。選ばれた一つに、「平磯出張所における無線電話開発と電波伝搬研究の先駆的成果」がある。この「平磯出張所」は、現在の総務省・日本郵政・NTT等の前身である逓信省に設置されていた試験研究機関「電気試験所」が、1915年(大正4年)に茨城県の太平洋岸に開設した支所である(写真2)。戦後は郵政省電波研究所(現・NICT)に電波観測所として継承され、電波伝搬に影響を与える太陽活動を観測するサイト「平磯太陽観測施設」として、2016年9月まで稼動していた。

 この電気試験所および平磯出張所は、わが国の電波・無線技術の黎明期から発展期にかけて、多くの足跡を残している。今回から5回シリーズでその足跡を紹介する。

電子情報通信学会創立100周年記念式典においてマイルストーンを発表する辻井重男選定委員長
写真1 電子情報通信学会創立100周年記念式典においてマイルストーンを発表する辻井重男選定委員長(9月15日)

平磯出張所の全景(昭和初期)
写真2 平磯出張所の全景(昭和初期)

 

電気試験所から生まれた電子情報通信学会

 1891年(明治24年)に逓信省の中に設置された電気試験所(Electro-technical Laboratory: ETL)は、我が国で最も早く誕生した物理工学系国立試験研究機関と言われ[2]、電力や電信電話などの電気用品の検定や標準、材料試験を業務とし、合わせて海外の最新技術の調査や独自の研究開発も行う機関であった。その中で、電信電話・無線・材料に関する試験研究を担当していたのは、第2部であった。その第2部では、欧米視察から帰国したばかりの鳥潟右一技師が、当時の浅野應輔所長や利根川守三郎第2部長らを説いて、部員のための研究会「電気試験所第2部研究会」を立ち上げ、約30名が会議室に月1回集まり、講演会を開いていた。1913年には、この会合を所内から逓信省全体に広げて「電信電話研究会」とし、さらに1917年には、省外の技術者にも門戸を開いて「電信電話学会」とした。これが今日の電子情報通信学会である [3]。

電気試験所125周年をめぐる取り組み

 1891年に創立した電気試験所は、2016年に創立125周年を迎えた。戦後に電気試験所の電力・検定・標準部門を継承して1970年まで(英語名は2001年まで)電気試験所を名乗っていた、通商産業省工業技術院電子技術総合研究所(電総研)は、創立から10年ごとに記念誌を刊行していた。しかし2001年に、工業技術院傘下の試験研究機関等が統合して発足した産業技術総合研究所(産総研)に吸収されたため、産総研になって以降は、電気試験所の創立から起算した記念事業は行われなくなった。一方、電気試験所第2部(電信電話)を母体として戦後に独立した電気通信研究所(通研)は、運営母体が日本電信電話公社(電電公社)を経てNTTに移行し、民間企業の実用化研究所になったため、その歴史は1952年の電電公社の発足以降と捉えられている。以上のことから、電気試験所の125周年を記念する事業は、これらの後身機関では行われなかった。その代わりに、電気通信研究所の電波部等を前身とするNICTの職員有志が呼びかけて、125周年を記念する期間限定のアマチュア無線記念局(コールサイン8J125ETL)を開局した。8J125ETLはNICT本部(東京都小金井市)を常置場所とする無線局であるが、2017年3月に通研の後身であるNTT武蔵野研究開発センタ(東京都武蔵野市)において、また、7月に産総研つくばセンター(茨城県つくば市)において、それぞれ記念交信するイベントを行った。それらに加えて2月から3月にかけて、NICT平磯太陽観測施設(茨城県ひたちなか市)において、以下の通り記念の月面反射通信実験を行った。

平磯太陽観測施設における月面反射通信実験

 月面反射通信(EME:Earth-Moon-Earth)は、電離層を突き抜けるVHF以上の周波数帯を用いて、月面での反射を利用して海外と交信する無線通信である。宇宙空間の物体を利用して見通し外まで電波を届ける点では、人工衛星を用いる衛星通信と同じであるが、EMEは天然衛星の表面における自然反射を利用するため、電波が中継時に増幅されないこと、月面(レゴリス)での反射により電波の強さが約100分の7に減衰すること、光速で約2.5秒かかる往復約76万kmの超長距離伝送により電波が極端に弱まること、さらに電波が地球の電離層を往復2回突き抜ける際にファラデー効果によって偏波面が不規則に回転することなどの悪条件が重なる。そのため、EMEは、大がかりな通信設備が必要な割には回線品質が劣悪なため、実用性は無く、アマチュア無線においてのみ試みられている。アマチュア無線局は業務用のような大電力が免許されないため、EMEではアンテナの利得をできるだけ高める努力がなされる。そのため、使用を終了した業務用の大型パラボラアンテナをアマチュア無線家が借り受けて実施するケースが多く、過去には、KDDI茨城衛星通信センターの口径32mパラボラや、JAXA勝浦宇宙通信所の口径18mパラボラによる実施例がある。

平磯出張所として発足したNICT平磯太陽観測施設は、宇宙天気予報の基礎データを得るための太陽観測(光・電波)施設として長年稼動していたが、太陽観測業務を鹿児島県のNICT山川電波観測施設に移したことから、2016年9月末をもって業務を終了した。その結果、太陽電波の受信に使用していたアンテナ群が不要になったことから、8J125ETLのメンバーが、そのアンテナを借りたEME実験を計画した。

平磯太陽観測施設には、25MHz〜2.5GHzの広帯域な太陽電波を3つのアンテナによって連続的にカバーする、ダイナミックスペクトル観測システム「HiRAS」(ハイラス)[4]が設置されていた。HiRASの3つの受信アンテナはいずれも、右旋・左旋両偏波に対応できるように、直交配置した広帯域ログペリ(対数周期)アンテナを備えていた。これらのうち、70〜500MHzの太陽電波の受信を分担していた、最も大きい口径10mのパラボラアンテナHiRAS-2(写真3,4)を借用して、144MHzと430MHzのアマチュア無線帯でEME実験を実施した。

HiRAS-2の外観
写真3 HiRAS-2の外観 (口径10m)
HiRAS-2の一次放射器
写真4 HiRAS-2の一次放射器である直交20素子ログペリアンテナ (70〜500MHz)

今回のEMEでは準備の都合上、アマチュア移動局を仮設して実験することにしたため、送信出力は、我が国で移動局に免許される最大の50Wに抑えざるを得なかった。これは標準的なEME局(固定局)の10分の1以下の小出力であるため、電話(SSB : Single Side Band)や電信(CW : Continuous Wave)によるEME交信は困難と判断し、強力な誤り訂正機能を備えたJT65と呼ばれるデジタル通信モードを使用することにした。

理想的には、一次放射器をアマチュア無線帯用に取り替えてアンテナ性能を最大限に引き出すべきであるが、アマチュアによる手作業での取り替え工事は困難なため、既存の受信専用の広帯域アンテナを送信用としてそのまま転用することにした。図1に、EME実験に際して測定した、HiRAS-2の電圧定在波比(VSWR)の計測結果を示す。VSWRは送信アンテナの性能を測る指標で、理想的には1.0、実用的には1.5以下とされているのに対し、HiRAS-2は144MHzにおいて2.50、432MHzにおいて2.09という高めの結果が得られた。しかし送信機にダメージを与える値ではないと判断し、このまま使用することとした。

HiRAS-2の電圧定在波比(VSWR)の計測結果
図1 HiRAS-2の電圧定在波比(VSWR)の計測結果

2017年2月11日から13日にかけて実施した実験には、8J125ETLの構成員であるNICT、アンリツ(株)、日本無線(株)、横須賀リサーチパークなど、無線・電磁波を専門とする企業等に勤める総勢14名の無線家が参加した。月齢14の月が17時半過ぎに太平洋から昇るのと同時に、実験を開始した。ICOM製の50W送信機(IC-910D)を用い、予め作成した10分刻みの月位置の時角・赤緯テーブルに基づき、パラボラを手動で制御して、月を追尾した。世界各国のEME局とインターネット電子掲示板上でリアルタイムに情報交換をしながら、交信の成立を目指した(写真5)。12日の明け方に、スイスのEME局HB9Qに対して432MHzで呼びかけたところ、応答があり、双方が相手局の信号を確認できたことをもって、5時14分(日本時間)に、初交信に成功した(写真6、7)。続いて5時41分にロシアのUA3PTW、5時47分にドイツのDL7APVとの交信に、相次いで成功した。7時過ぎに月が沈み、初日の実験を終了した。




EMEに挑戦する参加メンバー
EMEに挑戦する参加メンバー

パラボラを手動で制御
パラボラを手動で制御

深夜の月を追いかけるHiRAS-2
深夜の月を追いかけるHiRAS-2
写真5 2017年2月11〜13日に平磯太陽観測施設で実施したEME実験


平磯におけるEME初交信時の通信画面
写真6 平磯におけるEME初交信時の通信画面
相手局:HB9Q(スイス)
日本時間2017年2月12日5時14分
周波数432.090MHz, 出力50W

スイスのHB9Qから後日届いた交信証
写真7 スイスのHB9Qから後日届いた交信証

 2月12日は、実験条件を変え、ICOM製の別の送信機(IC-7100M)により、18時半過ぎから実験を開始した。IC-7100Mは430MHz帯における送信出力が35Wのため、さらに厳しい条件であったが、13日の明け方に前日の相手方と同じHB9QとDL7APVから相次いで応答があり、交信に成功した。さらに前日に使用した50W送信機に戻し、新たにドイツのDF3RUとの交信にも成功した。7時45分に月が沈み、2晩の実験を成功裏に終了した。

 さらに3月26日には、平磯太陽観測施設の設備が撤去される直前の最後の機会を捉えて、駆け込みでEME実験を行った(写真8)。同日は月齢27の昼間の月をターゲットとし、日本とヨーロッパの両方から月が見える交信成立可能時間帯が極めて短い悪条件ながら、50W送信機(IC-910D)により、月没寸前の15時45分に、ドイツのDK3WGとの交信に成功した。

車載局をHiRAS-2の直下に停め、アンテナケーブルの損失を極力減らして挑戦
写真8 車載局をHiRAS-2の直下に停め、アンテナケーブルの損失を極力減らして挑戦(3月26日)

 3月26日の実験には地元のラジオ放送局が取材に訪れた。電気試験所の125周年に加えて、平磯太陽観測施設の102年の歴史の最期を飾るEME実験をアピールできた。

おわりに

 連載第1回は、電気試験所および平磯出張所の概要紹介と、ゆかりの施設において行われた125周年の記念活動を紹介した。

 次回から歴史の紹介に入る。第2回は、電気試験所の創立と我が国の無線電信研究の事始めを紹介する予定である。

参考文献

[1] 電子情報通信学会マイルストーン, http://www.ieice.org/jpn/100th/milestone.html, 2017年9月.
[2] “電子技術総合研究所100年史”, p.3, p.702, 1991年.
[3] 横山英太郎, “明治大正時代の無線通信(電気通信学会のれい明期)”, 電子通信学会50周年史, pp.139-140, 1967年.
[4] 近藤ほか, “平磯の新太陽電波観測システム”, 通信総合研究所季報, 第43巻, 第2号, pp.231-248, 1997年6月.
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